日経スペシャル #私の履歴書
【BSテレ東】
3/22(金) 21:00通販王・高田明70歳の地方発天下取り!次なる野望 https://t.co/CNDZ82UA4u
ナレーション:長谷川博己 pic.twitter.com/VD1mktwIMJ— 9m15 (@akako530) March 15, 2019
番組詳細
放送日時
3月22日(金)21:00~21:54
BSテレ東
ナレーション 長谷川博己さん
高田明さんのプロフィール
高田明さんは長崎県平戸市出身、1948年11月3日生まれの70歳。日本国内で高田明さんを知らない人は居ないと言っても過言ではありません。
ブログ更新: V・ファーレン長崎高田明社長、クラブへの投資は今年だけで10億円規模 「最終目標は『長崎を元気にすること』」 https://t.co/wWjR8L3KmM pic.twitter.com/nt77wjbBcD
— ドメサカブログ (@domesoccer) August 5, 2017
「ジャパネットたかた」の創業者であり、現在は、株式会社A and Live、株式会社V・ファーレン長崎の代表取締役社長として活躍されています。
高田明さんの出身地
高田さんが生まれた長崎県平戸市は長崎県最西端にある市になり、鎖国前はオランダやポルトガルとの貿易を行う貿易港でありました。
日本100名城の一つに選定されている平戸城は廃藩置県後、廃城となり解体されましたが、狸櫓と北虎口門は残っています。
3日目は平戸城と幸橋を見て、寺と教会が見える風景の場所まで歩いて平戸を出発。予約してた田平天主堂を見学しました。 pic.twitter.com/PEg5eDQRq2
— ゆみごんごん (@yumigongongon) April 3, 2019
ちなみに、狸櫓と呼ばれる理由はある伝説によるものです。今も現存している狸櫓の床下にある時期から狸が住み始めたそう。櫓を修理するため床板を剥ぎ取りますが、小姓に化けた狸が藩主の寝所に来て、こう言います。「我ら一族を櫓に住ませてほしい。そうすれば城をお永代守護する」。
藩主はその願いを聞き入れ、床を元通りに戻しました。このことから、狸櫓と呼ばれるようになったとのことです。
2/24 トランスコスモススタジアム長崎にて
サッカーJ2リーグ開幕戦「V・ファーレン長崎VS横浜FC」の試合観戦に訪れた高田明さん。この日の試合は1対0で勝利をおさめました。
試合前後、ファンの方々の声に応え、握手。また、気楽に写真におさまり、サインを行うほか、試合前後にはチャリティーコーナー、販売コーナーでも自ら軽妙なトークを披露し、ファンの要望にも応えます。
高田明氏の次なる狙いは「地元・長崎の大革新」。
地元・長崎の発展のため、サッカーを軸にした再開発で長崎を元気にしたい!との気持ちから、株式会社V・ファーレン長崎の代表取締役社長として就任。今に至ります。
日本経済新聞「私の履歴書」
2018年4月、日本経済新聞にて「私の履歴書」を連載。
高田明さんの出発点は、平戸市にある小さなカメラ店「カメラのたかた」でした。現在、こちらの店舗は甥の政和さんが経営を任されています。
4人兄弟の次男として誕生した高田明さんは、大阪経済大学に入学し英会話部で英語を学びます。卒業後は京都にある機械メーカーに就職し、得意の英会話で通訳としてヨーロッパに赴任。
25歳
25歳の時、友人と翻訳会社を起業しますが、1年も経たずに挫折。長崎に戻った高田明さんはお父さまのカメラ店を手伝います。
カメラ店の仕事は、観光客の写真を撮影しその写真を買ってもらうことでビジネスが成り立つことを痛感しますが、単なる写真では買ってもらえません。
高田明さんが出した答えは、お客さまが喜んで買ってくれる写真を撮影すること。顧客目線の重要性を確信したのでした。
結婚後
27歳、5歳下の恵子さんと結婚し、3人のお子さまが誕生します。
37歳で独立し、奥さまの故郷である佐世保市で「たかた」を設立。これからはビデオの時代と考えた高田明さんはメーカーにかけ合い、特約店の契約を結びます。
顧客の家庭をまわり、ビデオカメラの良さを紹介し、1~2ヶ月で100台ものビデオカメラを売上げ、九州で1、2位の売上を誇る店舗へと発展させました。
ジャパネットたかだ設立
2018年度見込みの年商は2035億円。通販会社トップの売上を誇る会社は、現在も長崎県佐世保市にあります。巨大スタジオを完備しており、現在も放送されている通販番組は、こちらのスタジオから放送されています。撮影するカメラマン、MC、照明担当、広告担当など、すべて社員だそうです。
45歳~
1994年6月、テレビショッピングがスタートします。その時代、収録は地元テレビ局のスタジオでした。翌年、東京キー局に進出しますが、インターネットブームが到来し、パソコンの時代となります。
メーカーが次々と新製品を発売しますが、そのスピードについていけないと判断した高田明さんは、自社スタジオから生放送を行う現在のスタイルに切り替えます。
高田節に魅了されたのはお客さまだけではありませんでした。売り込みにくるメーカーの担当者も続々。商談は、すべて自身の手でチェックした上で販売するというこだわりがお客さまに伝わり、通販会社トップの売上となったのではないでしょうか。
まとめ
個人情報流出の危機に見舞われた時もありましたが、その時もきちんとした誠意ある対応を行った高田明さん。経営者として、顧客の信頼に真摯に向き合った姿は、現在でも危機管理のお手本とされています。
これからも健康に気をつけて、長崎県を、また日本を元気にしてくれる経営者として活躍してほしいと願います。個人的な話ですが、わが家にある電気製品はほぼ「ジャパネットたかた」で購入したものです。
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